ホルヘ・ミム〜ラの「ラテンの魂」

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zoom RSS 第35回 これって何か変!?容姿や衣装が重要な採点競技

<<   作成日時 : 2010/03/31 22:35   >>

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いよいよW杯最終予選に突入したが、ジーコ監督への評価は依然として低く、バッシングに近い論調も多々あるようだ。
しかしそれは当然のことで、世界中どこの国でも、際立った業績や成果を示さなければ、国家元首と代表監督は庶民の敵役となるのだ(“将軍様”などがいる一部を除く)。
要は結果次第で、プロセスは全く関係ないといえる。

前監督のトルシエはその性格までとやかくいわれたが、サッカー的な批判の多くは戦術のお仕着せだった。
そしてジーコは、反対に戦術の無さを指摘されている。

この両者の違いは、女性の顔を例に挙げて比較すると分かりやすい。

ジーコは、国内最高の目、鼻、口、輪郭、髪といったものを集めて顔を作る。
それに対してトルシエは、自分が化粧でどのように仕上げるかを決めた上で、それに合うパーツを集めてくる。
ジーコの方法を美人の宝庫ブラジルでやれば、世界に通用するとんでもない美人ができあがる。
しかし、日本ではどうか。国内最高の目や鼻を持ってきても、国際舞台では上位に入れない。

一方トルシエは、素材3割、化粧7割という感じで顔を作り上げる。そして、その方が締麗だったりする。
ただ、トルシエ流ではどんなに素晴らしいパーツでも、自分が思い描く化粧に合わなければ使わない。
だから俊輔が外された。

小手先の修正なしのジーコ流では、日本サッカーの地力での勝負。
そう考えると、予選突破にはかなりの不安がつきまとう。
日本の地力は、世界的にはまだまだ中の上くらいだからね。

久しぶりにサッカーのことを書いたが、女の顔の話が出たのでそっちにシフトしよう。

かねてから疑問に思っていることがある。
女子の体操、新体操、フィギアスケートの一流選手に、なぜブスがいないのかということだ。
それどころか、優勝を争うような選手は美人といっていい。
どうやら美しくない人は、それだけで選手として大成しないようだ。

ホルヘが審査員だったとしても、美人とブスが同じ演技をしたら、美人に0.5ポイント多く入れるだろう。
しかし、これでスポーツといえるのか。鍛錬した技を競うにあたり、容姿は関係ないはずだ。

フィギアスケートでは、化粧やコスチュームまでが重要な要素になっている。おかしな話だ。
永谷園から贈られた立派な化粧まわしを着けたからといって、高見盛は横綱になれない。
実力と衣装は別ものでなくてはならない。

選手の中には、当然のごとくプチ整形をしている者だっているに違いない。これはドーピング違反にならないのか。採点を有利にするために手術で眼を大きくし鼻を高くするのは、筋肉増強剤の使用より悪質ではないのか。
このよう考えると、これらの競技はスポーツの本筋から外れているように思える。

本来の姿に戻すためには、フィギアスケートはコスチュームを統一し、全員が黒のタイツとする。
そして体操も新体操も、プロレスのマスクマンのような覆面を着用。
こうすれば容姿や衣装に惑わされず、純粋に演技だけを評価することができる。

スポーツ的にはグッドアイデアであるが、こんな華のないシステムになったら、男の観客は激減するだろうな。
ホルヘだって、観たくない。

やっぱり、今のままでいいのか?


(2005年3月)

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